父に怒鳴られ、メンタルやられ
兄が亡くなって、憔悴しきってるというより、まわりが見えなくなってイライラし出した父がヘビーツイッタラーみたいでちょっと怖い。
電話でも急に怒鳴り出して、挙句の果てに、
「葬式なんか来ていらん!」
どうした!?悲しみより恐怖を感じる。
怒鳴られた翌日朝に、何度もしつこく父から電話がかかってきた。
取りたくないからほったらかしにしていても、何度もかけてくるので、
どうせ「すまんかった」の返しだろうにと予想しながら、とりあえずは出たら案の定でした。
たのむから葬式来てくれ!
来なかったら一生後悔する。
一生後悔も何も急に怒鳴られ、こっちも対応できなくてずっと息苦しさが続いていた。
あんなに怒鳴られて、「許してくれ」って言われ、
「いいよ、それぐらい」な~んてどんなに神対応なんだよ!
私にはそれができない。
葬式は明日。とてもじゃないが新幹線に乗っていけるメンタル回復していない。
ほとんど会うことはなかったけれど
兄妹と言っても仲がめちゃくちゃ悪かったし、
兄が出ていってから何回も会ってないよなぁ。
10回もないかもしれない。
なんで会えばいがみ合っていたんだろう…て不思議で仕方がない。
どれを取っても、どれを見ても、ちょっとのことでも腹が立つから、もう改善の余地がない。
というか、私自身別に改善しようとも微塵も思ったことがない。
たった2人の兄妹なんだから、仲よくしなさい!としょっちゅう言われていたから、
余計に別にどうでも…と思うようになっていった。
亡くなる4日前に病院で横たわる兄を見て、
ほとんど会うことはなかったけれど、
いつかは分かち合う時が来るのかな…
結局まともに話もできないまま、兄はこの世を去りました。
私のことはいつも気がかりでいてくれていたのは知っていたけど、素直に受け入れられなかった。
いなくなった今はどうかというと…
いなくなったというポカンと心に空くほどの虚無感はないけど、
もう2度と会うことはないのか…そう思うと生きていた時にもう少しいろいろ話せばお互いの食い違いな部分もわかっていただろうに。
それがもうできなくなってしまった。
さみしいものはこみ上げてくる。
雲の上のまた別の世界へ旅立つ、兄
昨日仕事行く途中に父から電話が入った。
死んでしまった。
もう…動かない。いくら呼んでも動かない。
電話の向こうの父は間違いなく泣き崩れていた。
そうかぁ…わかった。会社忌引で休む連絡を入れる。
私は会社最寄り駅に着いてから、少し駅前をウロウロとコンビニに入ったりしていたところでした。
実は仕事行く前、まだ家にいた早朝母から電話があった。
相変わらず何が言いたいのかよくわからなかったし、何年前のことを掘り下げてグダグダ言ってるから携帯をスピーカーONにして無視していました。
すると、その後ろでただならぬ慌ただしさを感じた。
病院から呼び出しが来た!
まさしく父の声が携帯から聞こえてきた。
もうダメなんだなぁ…すぐに兄がいる病院に行きたいが新幹線移動という離れているため、とても無理。
どういう状況なのか詳細を聞くまで私も早合点はやめようと思い、
いつもどおり仕事に向かいました。
土日新幹線に乗るつもりでいたので格安チケットを買おうとお金を用意していたりもしていた。
がんばって!という言葉はあまりかける言葉ではないとTVでもやっていた。
今まで散々病魔と闘いながら苦しんでいるのに、それでも私は兄にはまだまだがんばって生きてほしいとこの時は本当に「がんばって」
そう思いました。
そして、今まで何回もやり取りしていた父からの電話。
取る前一瞬だけ、ダメだった!?もしかして。
頭の中を過ぎりました。
父の言葉の「もう動かない、何回呼んでも動かない」
亡くなる瞬間最期を看取った父の率直な言葉に、
やっぱり動かないものなんだ。
本当に亡くなるというものは。
最期は土に帰る…そういうものなんだ。
親は人生散々好き勝手やり切って、満足なことだったんだろう、そう言っていたけど本心なんかではないはず。
まだまだ若いのにやり切った、というには早すぎる。
親なりの気持ちの整理の仕方なんだと私は思いました。
だから、それは違うとも言い返しませんでした。
実は昨日新幹線に乗りましたが、父から
こっちでのことはお兄ちゃんの奥さんとで段取りをするから、もう少し自宅で待機しといて。
ということで私はまた新幹線で家にトンボ帰りでお兄ちゃんとはまだ会っておらず。
仕事は休んでのんびりすることにしました。
2度目の日帰り新幹線移動で疲れたのか、
家に戻ったら私は爆睡しました。
Twitterやってた時、よく目にしたな。
死ねやら死にたいやらのTL。
何かあってのことだろうけど、そういう時は相当の覚悟でTLしてほしいね。
実際身近な人間の死を経験すると、そういう言葉を言い続ける人の単なる「止めてくれ」「そんなん言ってはダメよ」
まぁフォロワーにかまってちゃん注目浴びたいちゃん、ハイハイ本気ではないんでしょ。
それでまたいつものどこどこ食べに行った!おいしかった!と写真載せたりね。
イヤって言うほどそういうの見てきた。
Twitterをしていたらそんな冷めた目で眺めていたと思う。
残された奥さんが不憫でならない。
お疲れさま…何度も私は言いました。
とても優秀なキャリアのある人で一線で活躍している。
そんな中でもいつも気丈で前向きに愚痴一つ言わなかったと父から聞いていた。
兄が病に倒れてから、奥さんのキャリアのこともあり、兄のことで退官なんてことだけはしてほしくないと思いました。
父の協力を得ながら、父もまた住んでる家を母に任す(母は1人になって気楽だとか相変わらず呑気な)
時々戻ってはまた兄の家に何日も泊まって看病。
私と父は関西在住だけど、同居していない。
亡くなった兄は関東に住んでいた。
奥さん、父、もう苦しむことはないね。
父もこれで関西に戻れるね。
お兄ちゃん…亡くなる4日前に会えてよかった。
闘病生活1年もなかったような。
それほどガンの進行は早すぎた。
病に人は無力なんだ、というより
最期と決め込んでいた時の兄の
なる時はなる。俺はそういうの逆らわず受け入れる。
だからと延命治療やらないとかではない。
やれるだけのことはやる。
それでダメならしゃーないやん。
私が仕事疲れたぁ面倒とか文句言ってることがちっぽけアホくさと思えてきた。
やっぱり健康でいることがいい。
私の場合は友だちの暴言が原因でうつ病と睡眠障害にされたからな。
死ねやら言っておきながら、つらいとかもう知らん。
さぁ私は兄の分まで長々生きるような気もする。
先はまだまだどうなるかは、まずはうつ病と睡眠障害を治すが先だわ。
久々に兄と会った…
6月24日土曜日朝、私は新幹線に乗りました。
とても複雑な心境でいた私は、まず最初に何を言えばいいのか、状況が想像できないだけにいろいろ頭の中をかけめぐって、新幹線はやっぱり速いなぁ~と車窓を眺めては涙が出る。
前日仕事から帰って、やれやれで座ってすぐ父から電話が入った。
とにかく疲れていたし、着信をほったらかそうかと思いましたが、出なかったらまたかけてくるし、とりあえず出るだけでいいわ~で出ました。
明日朝早く新幹線に乗ってこっちに来なさい!
何があったのか、仕事疲れでいながらもすぐに理解ができた。
しかし、疲労感がハンパないからまず起きられるかわからない。
それに今までのことを思うと、そんな急には。
いろいろあったことはわかる。それを承知で。
仕事休みで起きられなかったら、また7月入ってからでも。
それでは、もうもたない…
先生から今のうちに会わせてあげたい人を呼んであげて…
そうかぁ…もうそこまで。
起きられたら、行けるとかの保証はない。
とにかく眠いからそれで勘弁して欲しい。
そう私は答えながらも新幹線に乗ることを決めていた。
仕事休みの日は昼まで寝るのに24日は珍しく5時30分頃目が覚めた。
睡眠障害なので眠剤を飲んだにもかかわらずだったので、やっぱり何かある時は人は行動起こせるものなのかもな。
新幹線を下りて1度兄の家に行き、父と兄の奥さんに会いました。
兄の家に行くのは初めてだったので父が迎えに来てくれた。
兄の家から車に乗って病院に行きました。
約6年ぶりかな…その前は10年会っていなかった。
それだけ仲が悪かった。
会えば口げんかしていたし、大人になってもそれは変わらなかった。
会ったら「何しに来た!来ることない帰れ!」
そう来るだろうと思っていたのです。
しかし、6年ぶりに会った兄は私が知っている兄とは全然違う顔がふっくらしていた。
元々はガリガリにやせてる姿しか見たことないので、逆にそういう姿を見て、私はつらさがこみ上げてきた。
ガンに冒され、顔が浮腫んでいたのです。
ガンに冒されていることは私も知っていた。
投薬点滴しながらも仕事を続けていたというから大丈夫なんだと思っていた。
ガン細胞が視神経を圧迫し、3月末失明をしてから進行が早く、新薬投薬も最初は効いていたらしく、うっすら見えていたようです。
でもそれも一時的でまた見えなくなった。
梅雨入りしたあたりから、全然食べなくなり、フラフラと立ち上がって自身で歩いてつたいながらトイレに行こうとした時、階段から落ちて救急車で運ばれ、そのまま入院することになりました。
自分の家なのに何で間取りわからなかったとかになるのですが、目が見えないことから方向感覚を失ってしまっていた。
何こんなところ(病院)で寝てるの!
早く家に帰ろうよ!
兄にそう言っていたのは、兄の奥さんでした。
兄は、反応して「うん」そう言った。
まだ希望はある。希望はあるんだよ。
また見舞いに来るから。
私は帰りの新幹線の中で、車窓を眺めながら、
また涙を流していた。
前部署の友だちとの別れ
改めて前部署の彼女とのLINEには、私の中でも今さらなことばかりだったし、
もういいんじゃないか、そっとしておいてほしい…
その気持ちが彼女にはくみ取れなかったんだな。
愚痴られても困る、彼女にそう言われたけど…愚痴なんて彼女もしょっちゅうだったからお互いさまなんだけど、そういうところもわかっていなかった。
何でも話し合える仲だなんて、全然言えないじゃない、悶々としてくるし、
悩んでいても自分の中で押さえ込んでしまうようになってきていた。
私の気持ちは自分が1番良くわかってるから…
わかってないから、私が怒らすことを言ってるのに当然のように豪語している。
わかってくれていたなら、私は部署変えなんてしていなかった。
いつまでも一緒に働くことを望んでいた。
何が言いたかったんだろう。
単なる今の状況を報告したかっただけなんだろうなぁ。
残念だけど、私は彼女のことはこれっぽっちも思い出すことはなかった。
今の部署に移る時も、つらい時も何もしなかったほど信頼はすでに私から消えていた。
もう少し落ち着いてLINEの言葉を選んで欲しかった。
自ら出した「さようなら」の言葉に今も正しかったと思う。
そして、ごめんなさい…
私を思い出してくれたことは感謝している。
前部署の仲間から久々のLINEが…
今週の月曜日、ある人からLINEが来た。
実に1年8ヵ月ぶりのことでした。
どうしてるかな…とずっと思っていてくれたようで、意を呈してLINEをくれたわけです。
元気にしていた?
今もそこに(現職場)にいてるの?
はい、元気で今も辞めずにいる
急にLINE送って誰かわからないんじゃないかなって思ったかな?
すぐわかりましたよ
1年8ヵ月ぶりのLINEでしたが、すんなり以前のようになじみました。
実際会ったのはさらに前の1年10ヵ月にもなる。
そもそも部署を移ってきた事情は彼女も知っていることでそれを思いながら、最初は気づかってくれていた。
それがだんだん話の内容が暴走してきて。
〇〇さんがね、とか、△△さんは今は、みたいに私にしては部署変えの理由もそれなりに絡んでいただけに、あえてなんでそんな余計なことをわざわざ1年8ヵ月ぶりにLINEしてきたのかの疑問だった。
結局私の元いた場所を〇〇さんがやってるの報告こそが私の怒りを買ってしまうことになった。
聞きたくなかったことを。
もうつらいことしか思い出せない。
私には本当にどうでもいいことだと返事した。
彼女は、
そんな情報聞きたくなかったよね、
ごめんなさい。
またどこかで会えるかもしれないけど、
身体に気をつけて。
そう言ってくれたけど、私の耳にはもうすんなりとはいかなかった。
そして、私からの返事は、
お元気で、さようなら。
最初のLINEに合わすのも努力したけど疲れてきた。
もう2度と合わないでしょう。
そう締めくくると、
彼女からは、
私と出逢えたことは感謝している。
寂しいですが、さようなら。
そして彼女からの最後の一言。
感謝している…
私が部署を移る前、精神的に疲れてきて彼女に相談をしようとしたら、
彼女の口からは
愚痴られても困る
そう言われてしまったら、何も話せなくなった。
彼女からはあれこれ仕事の文句のメールが来たりするのに私は言えない。
その時の上司に不満があり、部署でもみんなが面倒な仕事を押し付ける感じになってきて、いい加減にして欲しいと言ってもダメで、部署変えをしようかの迷いが出てきた。
だんだん限界がきて、本当なら彼女に相談をするところを彼女に内緒で部署変えをした。
気持ちは自分がよくわかってるからとその時もそしてLINEでも言っていたが、
結局なんにもわかっていなかった。
そんなのどうでもいいことを平然とLINEしてくることが私の気持ちなんか本当はどうでもよく、自分たちの仕事での文句を聞いてくれ的なのが優先。
これからまたLINEを続けても、どうでもいい情報が入るのはわかっているし、それが私にはかなり痛々しいことも。
私と仕事しなくなって、ずいぶん経つ。
それでも思い出してくれたことはありがたい。
でも、私の中で忘れていたつらいことをよみがえらせてしまった。
さようならを言うことに、迷いはなかった。
なにせ気持ちが耐えられなかったから。
彼女との1年8ヵ月ぶりのLINEは3日間で終わりを告げた。
人生いろいろありすぎて(4)
両親と離れて暮らしている間は、私も今ある生活を謳歌せねば。
以前はよく父に帰って来い!と言われていた。
しかし最近になって、もうしばらくそっちで暮らしなさい!と言ってきた。
私の気性も激しいものなので、実家暮らしをすれば母と衝突するのは目に見えている。
今の生活もようやく落ち着いたと実感しているところ。
それこそいろいろあって去年引っ越したりして、しばらく生活の軌道に乗るまで時間はかかりました。
仕事の合間に荷造りとか本当に面倒で、そのあとの手続きがわんさかあって。
そっちにかなり手こずり、つい最近になって、とある手続きができていないことに気づきました。
あれ!?てなったのはいいけど、即手続きの怠りを抗議の電話はしませんでした。
なにせ2年近く前のことなので、これは確証得るために記憶をたどらないといけない。
引っ越しの前にもうちょっとややこしい手続きがあって、あとあと面倒なことになってもなぁでとりあえずいろいろ変更したことをノートに控えていました。
ここに書いてることを祈る!
バッと開いたら…
よっしゃー!そこに電話した日付が残ってた。
やっぱり私はちゃんと手続きの電話をしていた。
あとは仕事休みの日に落ち着いて電話することにした。
(調べたのは仕事に行く前だったので)
さぁ落ち着いて電話をした。
予想どおりの対応だった。
記録が残っていないので、こちらからはなんとも言えません。
なるほどな。
でもこうなってるのは私がちゃんと電話したからでしょ。
それを怠ったのはそちらではないですか!
そう言うと、
上の者と変わりますので、少しお待ちください。
こういうの本当に腹立つんだよね。
上の者と変わったところでそちらでの手続きの怠りには間違いないんだからな~の私の考え(いやいや、ちゃんと控えていたから強気)
上の者と変わったところで、また説明から始まる。
あ~うっとうしい。とにかく非を認めないからだんだん冷静さを失いかけそうになる。
とにかく手続きはやってもらわないと困るわけなので、
そろえなければいけない書類があるなら教えてください!と言って教えてもらい、
なんとかそれを持って行ったら、
それは必要ありません!って、
はぁ!?もう勘弁してくれよ!
二度と来るか!(はい、手続きはあっさり終わりましたが、面倒にも足を運んだ手間を返せ!)
とある携帯電話会社さん!
あえて名前は伏せておくわ。