Twitterやめて、思うこと(5)
私は社会人なので昼間はTwitterを開くことはできない状況なので、見るとしたら寝る前とかが多かった。
仕事を1度退職した時は朝から見るというのも日課であったほどヘビーな時もありました。
でもそういうのは本当に疲れてきて、朝の早くから「おはようございます」と私が何もTLしていない時にリプライをくれたり、ひっきりなしにやって来るリプライの返事に疲弊が。
あのぉ~心身の疲弊はわかるだろうに。
私が体調崩してTL休んでいてもリプライが来ていた。
もう勘弁して欲しいし、スマホの画面見るのもムリ状態なのに。
そういう人に限って、今は疲れているのでそっとしてさわられたくない、しばらくTL休みます宣言、な~んてTLするし、こんなことしてるから「うつ病はわがまま怠け」て言われるんですよ。
しんどいのはお互いなんだから、TLをしれっと休んだからとギャーギャー言われているのがとにかく苦痛で仕方なかった。
それこそ、ほっといてくれ!でした。
気持ちが休まらない。
もし今も社会に向けて理解の発信(啓蒙)をしていたら、それはあなた自身の考えであること。
そのことをやって何か変わったのですか?
逆に同じうつ病の人からの反感を買ったでしょ。
発信するなら、こういう病気だという理解を得るのはむずかしいから、またそのことで自分自身を痛めているのでは意味がありません。
私から言えるとしたら、働きにくい世の中というのは事実ではあるけど、まずやはり今健康な人はそのままでいてることが1番であることを伝えるべきではないのかな。
しんどさは本当になってみないとわからない。
だからといって、友だちみたいにあからさまにTLで、健常者もうつ病になってみろ!というのも間違えていないか。
病気になったことでのハイリスクを述べた上で、元気な方はそのままでいて欲しいとTLも必要だったように思います。
常に恨み節でいてたら、ただの不快なTLにしか思えてこない。そうなんだ!の同情より、同調して余計にしんどくなるものです。