Twitterやめて、思うこと(6)
友だちが話す内容がTwitterになっていた時に、どこかで線引きつまり「友だちとの本当のさよなら」を。
どうしてそこまで思う必要がある?て。
本当に苦痛だったんです。
事あるごとにTwitterの話を持ってくるところがね。
私にしては全然興味のないヘビーツイッタラーの延々と書かれていたあるレポを読まされたこともある。
読んでても頭に入ってこない。何がすごいのかもピンとこない。
価値観的なものがずいぶんとずれてしまったなぁと思った。
何をするにもTwitter優先。
掃除洗濯よりTwitter。
仕事中でもTwitter見られる会社がいい。
いろんな愛があるならTwitter愛が存在していい。
ダメだ。私には受け入れがたい。
こういうTLを見るとだんだん腹が立ってくる。
友だちから来たLINEが、
思いの丈を打ち明けてほしかったですね。
くどくど遠まわしなことが嫌いなくせに、
だから率直に言うとブチ切れだし。
じゃあどう思いの丈を言えばいいって言うんだよ。
TL見たんだけど、ウソ言うんじゃねぇよ!
そう言えばよかったのか。
自分のTLを見て、食いつかないでくださいよ!と自分は食いついてくるのに、そういう理不尽があるのにどう対応すればよかったと言うんだよ。
ツイッタラーの言うことは聞けても私の言うことは聞けないのに。
友だちは好きなフォロワーと会ったことがあるので、チャッチャっとツイ婚すればよかったんだよ。
そういうのはTwitter上で好きになっても実際の生活はどうかとなるとけっして等しいとは言いがたいだろうからね。
それは友だちが「ウソ」のTLをするように。
Twitterを知るまでの友だちは本当に意気投合していた。
うつ病である友だちを助けたいと思った。
Twitterで余計な情報に自分も合わそうと友だちが染まってしまっていくのが見ていてつらかった。
そこから抜け出してあげようと、のめり込んでいるツイッタラーのことをLINEで何度も。
でも、友だちのTLより
2月に1人切って、すげぇ楽になった。
はい、この1人というのは私のことです。
友だちの誕生日にはおめでとうのLINEスタンプを送った。
返ってこなくてもいいか、まぁ既読もつかないかもな~の気持ちで。
友だちの誕生日その日が終わるギリギリ迷いながら送信。
日付が変わった頃に何の言葉もない、ただニコッと笑っていたクマさん(…かな)のスタンプの返事が来た。
そのあとに見た、すげぇ楽になった、というTL。
それは友だちだけでなく、私も楽になったんだよ。、
あれ!?Twitterやめたんだろうって思うよね。
公式アカウントがなくても見ることはできるもんな。
じゃあ見てたの!?だけど、誕生日頃と4月の半ばの2回見ただけ。
その後どうしているのかも、私は知らない。
本当は大事な報告があったけどね。
そのことでいろいろ協力してくれたこともあったけど、もういいかっ。
友だちはすっかりTwitterの中でしか自分を表現できない…
現実世界とは違うTwitterという手の届かない別世界の人になったので。
私をうつ病にした事実だけは、さすがにTLしてなかったよな。
そんなことすっかり記憶の片隅から消え去ってるか。