星空夕子……いろいろ思うことの記録

思いの丈...というやつを

久々に兄と会った…

6月24日土曜日朝、私は新幹線に乗りました。

とても複雑な心境でいた私は、まず最初に何を言えばいいのか、状況が想像できないだけにいろいろ頭の中をかけめぐって、新幹線はやっぱり速いなぁ~と車窓を眺めては涙が出る。

 

前日仕事から帰って、やれやれで座ってすぐ父から電話が入った。

とにかく疲れていたし、着信をほったらかそうかと思いましたが、出なかったらまたかけてくるし、とりあえず出るだけでいいわ~で出ました。

 

明日朝早く新幹線に乗ってこっちに来なさい!

 

何があったのか、仕事疲れでいながらもすぐに理解ができた。

しかし、疲労感がハンパないからまず起きられるかわからない。

それに今までのことを思うと、そんな急には。

 

いろいろあったことはわかる。それを承知で。

 

仕事休みで起きられなかったら、また7月入ってからでも。

 

それでは、もうもたない…

先生から今のうちに会わせてあげたい人を呼んであげて…

 

そうかぁ…もうそこまで。

起きられたら、行けるとかの保証はない。

とにかく眠いからそれで勘弁して欲しい。

そう私は答えながらも新幹線に乗ることを決めていた。

 

仕事休みの日は昼まで寝るのに24日は珍しく5時30分頃目が覚めた。

睡眠障害なので眠剤を飲んだにもかかわらずだったので、やっぱり何かある時は人は行動起こせるものなのかもな。

 

新幹線を下りて1度兄の家に行き、父と兄の奥さんに会いました。

兄の家に行くのは初めてだったので父が迎えに来てくれた。

 

兄の家から車に乗って病院に行きました。

約6年ぶりかな…その前は10年会っていなかった。

それだけ仲が悪かった。

会えば口げんかしていたし、大人になってもそれは変わらなかった。

会ったら「何しに来た!来ることない帰れ!」

そう来るだろうと思っていたのです。

 

しかし、6年ぶりに会った兄は私が知っている兄とは全然違う顔がふっくらしていた。

元々はガリガリにやせてる姿しか見たことないので、逆にそういう姿を見て、私はつらさがこみ上げてきた。

 

ガンに冒され、顔が浮腫んでいたのです。

 

ガンに冒されていることは私も知っていた。

投薬点滴しながらも仕事を続けていたというから大丈夫なんだと思っていた。

 

ガン細胞が視神経を圧迫し、3月末失明をしてから進行が早く、新薬投薬も最初は効いていたらしく、うっすら見えていたようです。

でもそれも一時的でまた見えなくなった。

梅雨入りしたあたりから、全然食べなくなり、フラフラと立ち上がって自身で歩いてつたいながらトイレに行こうとした時、階段から落ちて救急車で運ばれ、そのまま入院することになりました。

 

自分の家なのに何で間取りわからなかったとかになるのですが、目が見えないことから方向感覚を失ってしまっていた。

 

何こんなところ(病院)で寝てるの!

早く家に帰ろうよ!

 

兄にそう言っていたのは、兄の奥さんでした。

兄は、反応して「うん」そう言った。

まだ希望はある。希望はあるんだよ。

また見舞いに来るから。

 

私は帰りの新幹線の中で、車窓を眺めながら、

また涙を流していた。