雲の上のまた別の世界へ旅立つ、兄
昨日仕事行く途中に父から電話が入った。
死んでしまった。
もう…動かない。いくら呼んでも動かない。
電話の向こうの父は間違いなく泣き崩れていた。
そうかぁ…わかった。会社忌引で休む連絡を入れる。
私は会社最寄り駅に着いてから、少し駅前をウロウロとコンビニに入ったりしていたところでした。
実は仕事行く前、まだ家にいた早朝母から電話があった。
相変わらず何が言いたいのかよくわからなかったし、何年前のことを掘り下げてグダグダ言ってるから携帯をスピーカーONにして無視していました。
すると、その後ろでただならぬ慌ただしさを感じた。
病院から呼び出しが来た!
まさしく父の声が携帯から聞こえてきた。
もうダメなんだなぁ…すぐに兄がいる病院に行きたいが新幹線移動という離れているため、とても無理。
どういう状況なのか詳細を聞くまで私も早合点はやめようと思い、
いつもどおり仕事に向かいました。
土日新幹線に乗るつもりでいたので格安チケットを買おうとお金を用意していたりもしていた。
がんばって!という言葉はあまりかける言葉ではないとTVでもやっていた。
今まで散々病魔と闘いながら苦しんでいるのに、それでも私は兄にはまだまだがんばって生きてほしいとこの時は本当に「がんばって」
そう思いました。
そして、今まで何回もやり取りしていた父からの電話。
取る前一瞬だけ、ダメだった!?もしかして。
頭の中を過ぎりました。
父の言葉の「もう動かない、何回呼んでも動かない」
亡くなる瞬間最期を看取った父の率直な言葉に、
やっぱり動かないものなんだ。
本当に亡くなるというものは。
最期は土に帰る…そういうものなんだ。
親は人生散々好き勝手やり切って、満足なことだったんだろう、そう言っていたけど本心なんかではないはず。
まだまだ若いのにやり切った、というには早すぎる。
親なりの気持ちの整理の仕方なんだと私は思いました。
だから、それは違うとも言い返しませんでした。
実は昨日新幹線に乗りましたが、父から
こっちでのことはお兄ちゃんの奥さんとで段取りをするから、もう少し自宅で待機しといて。
ということで私はまた新幹線で家にトンボ帰りでお兄ちゃんとはまだ会っておらず。
仕事は休んでのんびりすることにしました。
2度目の日帰り新幹線移動で疲れたのか、
家に戻ったら私は爆睡しました。
Twitterやってた時、よく目にしたな。
死ねやら死にたいやらのTL。
何かあってのことだろうけど、そういう時は相当の覚悟でTLしてほしいね。
実際身近な人間の死を経験すると、そういう言葉を言い続ける人の単なる「止めてくれ」「そんなん言ってはダメよ」
まぁフォロワーにかまってちゃん注目浴びたいちゃん、ハイハイ本気ではないんでしょ。
それでまたいつものどこどこ食べに行った!おいしかった!と写真載せたりね。
イヤって言うほどそういうの見てきた。
Twitterをしていたらそんな冷めた目で眺めていたと思う。
残された奥さんが不憫でならない。
お疲れさま…何度も私は言いました。
とても優秀なキャリアのある人で一線で活躍している。
そんな中でもいつも気丈で前向きに愚痴一つ言わなかったと父から聞いていた。
兄が病に倒れてから、奥さんのキャリアのこともあり、兄のことで退官なんてことだけはしてほしくないと思いました。
父の協力を得ながら、父もまた住んでる家を母に任す(母は1人になって気楽だとか相変わらず呑気な)
時々戻ってはまた兄の家に何日も泊まって看病。
私と父は関西在住だけど、同居していない。
亡くなった兄は関東に住んでいた。
奥さん、父、もう苦しむことはないね。
父もこれで関西に戻れるね。
お兄ちゃん…亡くなる4日前に会えてよかった。
闘病生活1年もなかったような。
それほどガンの進行は早すぎた。
病に人は無力なんだ、というより
最期と決め込んでいた時の兄の
なる時はなる。俺はそういうの逆らわず受け入れる。
だからと延命治療やらないとかではない。
やれるだけのことはやる。
それでダメならしゃーないやん。
私が仕事疲れたぁ面倒とか文句言ってることがちっぽけアホくさと思えてきた。
やっぱり健康でいることがいい。
私の場合は友だちの暴言が原因でうつ病と睡眠障害にされたからな。
死ねやら言っておきながら、つらいとかもう知らん。
さぁ私は兄の分まで長々生きるような気もする。
先はまだまだどうなるかは、まずはうつ病と睡眠障害を治すが先だわ。