仲がよかったフォロワーについて
私自身はこの人なら何でも言えるという現実世界では3人いてる。
3人とも現職の仲間で、偶然にもその中の1人が私と同じ名字(本名)なので驚きです。
同じようにTwitterでも同じユーザー名の女の子がいました。
そして、いつも心配のリプライをくれた正義感の強いお姉さん的な人、
他にも何人かいましたが、2人のことを述べようと思います。
Twitterを辞めて、あとは交流があるわけではないので、ぷっつりと切れてしまったのですが、2人に関してもう少しつながりがあってもよかったなぁ~の後悔はしています。
まずは1人から。2人目は次のブログで。
とても不思議な女の子…少女という言葉がしっくりくる。
少女から私のアカウントを見つけてフォローしてくれた(もう1人のフォロワーも同じように見つけてくれた)。
私は漢字表記で少女はカタカナ表記で、私の漢字表記が少女の本名だということでした。
私のユーザー名は本名でもなんでもありませんでした。
でも思いつきとかではなく、理由はありました。
そのことを少女に説明しました。
少女は私にすごく興味を示してくれて、少女ならではの持つ葛藤が、私にはすごく痛々しく共感を得ることがあり、私は社会人なので、少女の悩みをいくつか経験して大人になった経緯がある。
なんで大人はわかってくれないの?
普通ならそう思うだろうけど、少女はそういう反発心を持つより自身に対するコンプレックスのようなものを抱いていたわけです。
自撮りを見たことがないので、容姿はわからないのですが、
「自分は醜いんだ」悲観的なことを述べることもあったので、体格がよすぎるということのようです。
ちなみに私は容姿はいたって目立たないのですが、実はガリガリ激ヤセなので、うらやましいとよく言われるのですが、あまりにもガリガリすぎてそれはそれで夏バテがひどかったりするので、もう少し肉つきよくしたいのも悩みでもあります。
うらやましいとかのレベルではなく、倒れそうな時が。
薬の副作用で多少は肥えたりするのかの期待したけど、全然ダメでした。
おそらく少女とは体格的に逆のように思います。
普通ならますますコンプレックスを抱くものだと思うのですが、私の容姿との違いの観点より、私がTLする内容に自分にない大人の意見を知り得る…何か不思議さを感じたとのことでした。
私のTLはもちろん自身の病気のこととか、社会人している中でのいろいろな出来事など、少女にしてみると「そうなんだ」という思いで、これから大人になる不安があったらしく、怖いという思いも。
少女が私をフォローしてくる時点で、少女自身も病気を持っていることはわかった。
学校で倒れたりして早退して病院直行と。
容姿の悩みが強すぎて食べることの拒否があり、倒れることもしばしば。
とてもつらいんだと思った。
少女の考えをまるっきり変えることは少女自身の今までを否定することにもなりかねないと思いました。
実際少女のまわりの大人たちは責めたりしていたようです。
それは重いなぁと私は思います。
私は少女に
大人は子ども時代を経験している。
少女の頃のようなことを私も経験して大人になりました。
私は親が絶対的権力で刃向かうことはできないながらも、育ててもらってるありがたさがあるがゆえ反抗はしなかった。
しかし、大人になってやりたかったことを反対され続けて今に思えば、もう少し意見を言えばよかったの後悔はする。
私なら少女のように多感な時こそしっかり聞いてあげようと思う。
最初から否定で入るのではなく、やっぱり聞いてあげる、それから何かしらのアドバイスは大人の役目では。
少女の将来の夢を聞いたことがある。
私はやりたいことを反対されてやらないまま大人になってしまった後悔があるので、あきらめずにいて欲しい。
もしそれが大人によってダメだと否定をされたら、あきらめることの後悔の大きいことを主張することも大事であること。
親のいうことが正しかったとなった時、自分のあの時の選択は間違いだったという考えは持たないで、まずはやってみないとわからないものもある。
見た目だけでは本当にわからないもの。
少女が選んだことはたとえやっぱり違ったと思えたら、きっといろんなことに視野が広がって
きたことなんだろうね。
たくさんチャレンジして欲しい。
若いからこそできることはあきらめずに。
音楽を続けたいと言っていた。
ピアノかなと思ったらギター演奏でした。
4月から大学生になってるのかな。現役だったら。
私とのTLやり取りしていた時はまだどの学部に行くかは決めていないと言っていた。
もしどこかの大学に入学して、サークルでギター演奏をしているのかもしれない。
いつか少女が演奏しているところを、私もどこかで見ているかもしれないね。
そうやり取りをしていたら、少女は、
私も夢に向かってがんばれる!
そして、少女は、
私はまだ子どもだから、いざとなると大人に「守ってもらえる」こともできる。
でも、大人になるとそれができない。
確かにそうだと私は少女の大人になることのすべてを自分でやらなくてはいけなくなることの不安を知った時、何かしらのアドバイスというものはやはり少なからず必要であること。
大人で社会人している私でも3人の仲のいい人たちに助けられることは今でもある。
今の若者の思いというのを目の当たりにしたように思う。
これからの期待と先行きの不安。
少女のように「自分自身へのコンプレックス」はそんなことがないよ~という大人の意見はきっと身勝手に思えてきたのかもしれない。
大人になると、いろいろ見えてくるものもある。
それは少女だった時のことを振り返るのもそうだろう。
あの時は苦労したけど、今はよかったと思える…
少女がそう思えるのは、まだまだ先のこと。
その時は趣味でもあるギターを続けていてほしいと私は思う。